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長崎の旬なひと 山田末美さん

「株式会社 きんかい茸」が生産する無農薬、化学肥料不使用の健やかな「エリンギ」。大阪の有名ホテルのシェフからもお墨付きをもらうほど豊かな味わいが大人気です!長崎市琴海戸根町の「きんかい茸」は、かつては一きのこ農家でした。それが今や九州でもトップクラスの生産量を誇る企業へと躍進しています。この躍進を支えているのが、社長の奥様にして取締役専務の山田末美さんです。美味しく健康的なエリンギを食卓へ届けるという使命とともに、従業員へ深い理解と愛情を注ぎ続ける末美さん。社内の士気を高めようと溌剌(ハツラツ)と働く末美さんですが、かつての姿は今からは想像もできないほど「暗かった」そう。真面目でひたむきだったがゆえに不器用で、不器用ゆえに人との軋轢(アツレキ)も起こりやすかったという「かつて」の末美さんが、こんなにも晴れやかに生まれ変わったのには、大きな契機がありました。今回は、人はいくつになっても生まれ変わることができる!ということ、そのために必要不可欠なマインドを山田末美さんのこれまでの人生から教えていただきました。

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爽やかな笑顔で、エリンギ工場のすぐ側に建つ事務所へと私たちを招き入れてくれた末美さん。色白の肌、色素の薄い髪の色、目の色…エキゾチックな美形の女性です。仕事着のポロシャツとエプロン姿でも、その美しさは少しも損なわれることはありません。内側からにじみ出るきらめきと、自信が一層末美さんを魅力的に見せているようです。終始楽しそうに言葉を繰り出す末美さんの口から、「昔の知り合いが今の私を見ても、同一人物とは思えないかも」と言う意外な一言が。

「実家は田舎の農家。父が本家の長男だったこともあり、両親と兄3人、祖母の3世帯で同居していました。家にお金がないということは、子ども心に分かるじゃないですか、消しゴム1個買うのもなかなか親に言い出せない…というか。貧しくて、子どもの頃にやっと我が家へ来たテレビが白黒だった…という思い出があるほど。同世代の人と昔話をしても、私の思い出は暗くて古いから、噛み合わないんです(笑)。基本的に野菜、味噌、醤油などは自給自足。畑仕事もしていたので、爪は真っ黒で、そんな時に限って爪の検査があったりするんですよねぇ。思春期の頃はそれが本当に恥ずかしかった。絶対に農家の嫁にはならない!その頃はそんな風に考えていました。それがやっぱり農家に嫁ぐんですから、不思議ですよね(笑)。内気で暗くて、家庭も暗くて、本当に昔を知る人に会ったら恥ずかしくて穴があったら入りたいほど(笑)」。幼少期の、末美さん曰く「暗い」思い出を、明るく楽しく語れるようになったのも、結婚してからのことだと言います。「家庭がいつも何かごたついていた上に、兄が3人でしょ。男に囲まれて育ったから考え方がすごく男っぽいんですよ。だから結婚に少しも憧れが持てなかった(笑)。結婚したのも、ギリギリ30代。遅かったですよね」。

幼少期、少女期と決して明るい思い出はなかったという末美さん。それでも、末美さんは真っ直ぐに懸命に自分の人生を生きようとしていました。


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地元の高校を卒業した末美さんは、先生の勧めもあり名古屋の4年制の看護学校へと進学しました。

「昼間定時制の看護学校で、午前中は病院で働き、昼から夕方まで学校で勉強、夜はまた病院に戻って働く…という生活でした。私は本当に真面目で融通が利かない性格なんです。周りの同級生が難なくこなす課題が、“きちんとしないと、ちゃんとしないと”と思うとできなくなってしまって…。成績は常に10番内にいたのですが、病院の勤務と勉強の両立がだんだんと心を追い込んでしまい、3年生の夏から休学することになりました」。

真面目であるがために、すべてに完璧を求めて自らを追い込んでしまった末美さんは、それが元で心と体のバランスを崩し、21歳の時長崎へと戻ることになりました。

「学校をやめて家に戻ってからというもの、1日中縁側から外の景色を眺めながら“この景色を何千年前の人も見ていたのかな…”なんてことを考えていました。生きるって何だろう、何のために生きるのだろう…生と死というものを真剣に考えたり…あの時期が人生の1つ目のターニングポイントだったかもしれないですね」。

そんな生活が半年も続いた頃、末美さんの放心した状態を案じたご両親から、福岡行きを提案されました。特に目標も見出せなかった末美さんは、両親の言う通り福岡行きを決断。

「福岡で就職し、約1年過ごしましたが、人間関係で悩み、結局長崎に戻ることになりました。人間がたくさんいるところでは絶えず何か揉め事があるでしょう?私はそれを黙ってやり過ごせない、勝ち気でしたから理不尽なことを許せず、はっきりモノを言っているとだんだん自分が嫌われていくのが分かるんですよ。嫌われると当然、居心地が悪くなるじゃないですか。それで心も病んでしまって…。でも「自分が嫌われている」という事実を誰にも言えなかった。自分の弱いところ、恥ずかしいところ、マズいところ、そういうところを隠したままで生きていたんです」。

末美さんの真っ直ぐな性格と、生真面目で不器用な生き方は、当時はプラスに働くことは少なく、逆に末美さんを追いつめていました。ご両親は末美さんの異変に気づき、優しく長崎に迎えてくれたそう。

「名古屋の看護学校で挫折し、福岡でも挫折し…でも、あの頃の挫折が今の私を支えていると思うんですよ」。




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「後味の悪い状態で長崎に戻ってきた私は、とにかく働こう!と、職安(現・ハローワーク)に毎日のように通いました」。

ところが、待っていたのは過酷な現実。

「私は普通高校を出て、看護学校は中退でしょ?特に資格も持っていない上に経験もありませんから、すべて履歴書の時点ではねられるんですよ。数えきれないほど履歴書の段階で落とされて、それでも諦めずに職安に通っていたら、見かねた職安の方が、ある会社の面接があることを教えてくれて。連絡したら、すでに定員に達していて面接も受けさせてもらえないような状況だったんです。私も必死ですから、先方の担当者に食い下がって「とにかく今から行くので面接だけでも受けさせてください!」って(笑)。そしたらですね、受かったんですよ。後で聞いた話ですが、採用する人はほぼ決まっていたそうなんですが、私の熱意に負けたって。それで、ようやく長崎で初めての就職が叶ったんです」。

念願の就職が決まったものの、時を経るうちに人間関係で悩むように。

「職場の女性の先輩と上手くいかなくて、辞めることになったんです」。

次に就職した会社でも、やはり人間関係が原因で退職を決意した末美さん。

「自分が会社で上手くいかないのは、会社が悪い、環境が悪い、周囲が悪い、と当時の私は考えていたんですよね。自分に合わない人が現れるたびに、「この人がいなければ上手くいくのに…」と。それで会社を変わるのですが、それでもやっぱり上手くいかない。ということは、自分にも問題がある、と今なら分かるんですが、その頃は気づいていなかった。21歳から26歳の間に、私、7回転職してるんです(苦笑)。事務職、営業職、エステティシャン、なんでもやりましたが、辞める理由はだいたい同じ。職場の人間関係に悩まされて、揉めて、居づらくなって…というパターン。合わない相手が現れて、人間関係が崩れて行くんです」。

とは言え、就職するたびに全力で取り組むという姿勢は変わらず、それぞれの場所、場面を駆け抜けていた末美さん。7度目の転職で就職した会社は、まさに背水の陣。

「26歳の時に就職したIT関係の会社では、もう後はない!絶対辞めるまい!と誓いました。それまでは女性がある程度多い職場で、どうしても私の一生懸命さが疎まれがちだったんですが、最後の会社は女性が私一人。男兄弟の中で育ったこともあり、気が許せたんでしょうね、13年続きました(笑)」。


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13年働く間に末美さんは「この先、一人で生きていくんだろうな」と決意のマンション購入を果たします。携帯もテレビもパソコンも持たず、ホーランドロップイヤー(たれ耳うさぎ)と二人暮らし。「恋人がいた時期もありましたし、結婚を考えたこともあったんですが、“結婚”に憧れが持てなかったので、結局上手くいかないんですよね。30歳を迎えて、特にきっかけがあったわけではないんですが、「一人で行きていく」と決めていたんです」。職場ではただ一人の女性社員として、頼られる存在へとなっていた末美さんですが、またも人間不信に陥るようなできごとが起こります。

「人間不信が募っていた頃に、主人と出会ったんです」。その出会いはまさに「エリンギ」が取り持つ、運命的なもの!

「その頃の私の楽しみは、ネットショッピングやオークションサイトを覗くこと。ある日たまたま見ていたら、「エリンギ」が出品されていたんです。当時はエリンギ自体、そんなにメジャーなものではなくて、「どんな味かな?」なんて興味本位で落札。私が一人暮らしをしていた時津からほど近い琴海の農家だったこともあり、後日、連絡があって「配達のついでに届けましょうか?」というんです。それなら送料がかからない(笑)、お願いしますって。後で聞いた話ですが、私が暮らしていた同じマンションに、かつて主人も住んでいたことがあったんですって!農家を継ぐ前に高校教師をしていたのですが、その時に住んでいたのが私と同じマンション。それで主人も私に興味を持ったらしいです。それで配達してもらった時に会って、挨拶をして、私は送料無料にしてもらったお礼にお菓子の手土産を渡して…それが何度か繰り返された頃、日頃のお礼に食事に誘われて。それがきっかけでお付き合いが始まりました」。

引き寄せられるように出会ったご主人に、末美さんはこれまでの自分の話を包み隠さず話したそう。それまでは、自分の過去を「恥ずかしいこと」と封印していた末美さんが、初めて素直に自分自身をさらけ出せた相手がご主人だったのです。

「どんな話でも彼はきちんと耳を傾けて聞いてくれたんです。それが今までつき合った人とは違う感触でした。私の話を聞いてくれて、受け入れてくれて、彼も彼自身のことを話してくれて、お互い似ている部分もあったように思います。普通女性って、男性に「幸せにしてもらおう」と考えるじゃないですか。でも私は「彼を幸せにしよう!幸せにしたい!」と思ったんです。この人の役に立ちたい、喜んでもらいたい。そういう気持ちになれたからこそ、結婚できたんだと思います」。39歳で結婚した末美さん。この結婚こそが、今の輝く末美さんへと導く大きなターニングポイントだったのです。




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平成17年、39歳で結婚した末美さんは、これまでの職場で培った経理事務のノウハウでご主人を支えていました。「結婚した当初は、私も前の職場で精神的にダメージを受けていたこともあって、そんなにどっぷりと仕事を手伝ってはいなかったんです。言葉は悪いですけど、気が向いた時だけ手伝う、みたいな(笑)。パートさんたちが一生懸命働いている横を重役出勤で通りすぎて、パートさんたちよりも早くに帰る私の姿は、きっとおもしろくなかっただろうと思いますよ。「あら、もうお帰りですか?」なんて声をかけられて(苦笑)。翌年、個人事業から「株式会社きんかい茸」として法人化したんですね。法人化する前に工場と事務所の増設工事をしたのですが、主人が工事の方に関わるのでエリンギの栽培管理作業ができなくなったんですよ。主人が栽培管理を一手に担っていましたので、その作業をできる人間がいなくて。私はその頃、重役出勤だったんですけど(笑)、仕事が終わらなくて疲れている主人を見て、何か手伝いたいな、役に立ちたいな、と思うように。そこからどっぷりと会社の仕事関わるようになっていきました」。

会社との関わりが深まり、パートさんとの距離も近づくと、末美さんの目に映ったのはかつての自分と重なる、職場での不協和音に悩む人の姿でした。

「パート歴何十年というベテラン女性が、突然荷物をまとめて「もう帰る、もう辞める、あの人とは一緒に働けない」と言い出してみたり、そういう職場のトラブルが目に入るようになって。主人に相談すると、「しょうがないよ」と言うんですが、しょうがなくはない!自分の過去と合わせて考えてみても、あの時の自分が苦しかったのは、上司が見て見ぬふりをしていたり、相談に乗ってくれなかったり、誰にも打ち明けられないことが苦しかったんだと気づいたんです。誰にも相談できなかったから、私は辞めるしかなかった。それで、なんとかここで働く人の力になりたい!と思って、お給料袋に「何かあったらいつでも電話してください」って書いた私の名刺を入れて渡すようにしたんです。そうしたら、相談に来る人がだんだんと増えて。私もきちんとしたアドバイスができるわけではないけれど、話を聞くことはできるから、しっかり話を聞いて「私だったらこうするかな、こう考えるかな」と話すようにしたんです」。働く人の目線を持ったままで、雇用する立場へと移った末美さんだからこそ、思い悩みながら働く人を放っておけなかったのでしょう。この末美さんが始めた小さな取り組みが、会社を、ご主人を大きく変えていくことになるのです。



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「従業員の人たちと話を重ね、一緒に「こうしよう、こんな風にしたらどうだろう」と考えるうちに、だんだんと職場の雰囲気も変わっていきました。ずっと以前からの会社の雰囲気を知る主人も「確かに変わってきた」と認めるほどに。でも、何よりも変わったのは私自身。だって、人のために何かしようなんて考えたこともなく、勝ち気で負けず嫌いで完璧主義で、理屈をこねて生意気で…何か問題が起きても「自分は悪くない」と思い込んでいたような私が、従業員のみんなにより良く働いてもらうためにできることは…?と深く考えるようになったんですから」。結婚を機に雇われる側から雇う側へとステージを移った末美さんには、かつての自分が抱えていた本当の問題が見えるようになったのでしょう。「誰か」の「何か」のせいにして、問題から逃げ出していた自分。逃げ出す自分を見ていながら救いの手を差し出してくれなかった企業。問題が起こることが問題なのではなく、問題を放置し逃げ出すことが問題なのだと、末美さんは確信できたのです。そこから、経営者としての責任と覚悟を芽生えさせていったように感じます。

「結婚前の私は、問題が起こると「どうして私ばっかりこんなに不幸なんだろう…」と考えていました。家が貧しかったことも、何をしても上手くいかないことも、すべて「私ばかりが不幸だ」と嘆くだけでした。でも、そうではないと今なら分かるんです。恵まれていない生い立ちや、傷を持った人の方が振り幅は大きい。マイナスからのスタートの方が、何倍も伸びしろがある、そう思うんです。私もあの暗い時代があったからこそ、他人の痛みの分かる今がある。だから今、自信を持って過去の自分とも向き合えるし、こうやって語ることができるんです」。



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末美さんは言います。「経営者として、従業員の心、生き方まで考える企業にしたい、そういう環境づくりをしていきたい」と。1日の大半を過ごす職場での働き方で、生き方、人生までも変わっていくということを、身をもって知る末美さんは、従業員をただの働き手とは考えていないのです。一人の人間として豊かな未来を手に入れるために、ここで何かを学び取ってほしい、「何か」を与えられる企業でありたいと考えています。

「実は、目の前で起きている問題は”問題ではない”こと。その人が、より良い人生を送るための”気づき”である、ということに気がついた。だから、仕事よりも人としての生き方を重点的に指導、教育している。そして、共に成長できる職場環境作りが理想だと考えて、日々、精進しているところだ(2013-06-04)」

これは末美さんのブログからの抜粋です。末美さんのブログには、末美さんが経営者として、妻として、日々出会う大小様々な出来事から受け取ったメッセージが綴られています。暗い幼少時代、負け組人生から、結婚を機に大きく振り切った末美さんの人生。ちょっとしたきっかけ、心の持ち方ひとつで人生は変わると末美さんは実感しています。



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「自分に自信を持ってください。それは自分の可能性を信じてあげること。信じたことが間違っていてもいいんです。信じたことを思いきりやってみて、ダメだったらそこからまたやり直せばいい。私は若い頃、自分に自信がなく、人間不信でもありました。だから、周囲に自分のことを認めてもらうために、“がんばらなきゃいけない”という思い込みがありました。どこかで、自分を犠牲にして生きてきたような…。そんな私が、今をいきいきと生きられているのは、自分のやりたいことをやっているからだと思います。自分の幸せなくして、周囲の人を幸せにすることなどできません。自分が好きでやっていることが、結果として、人様の役に立っている。だから、大変でも続けられるのだと思います」。

末美さんの挑戦はまだ始まったばかり。自分の信じた道をひた走る末美さんの活躍が、これから多くの場面で見られそうです。



【編集後記】

末美さんのブログより「“きっかけ”さえあれば、人は誰でも、自分に自信を持って生きられます。日々の出来事から、たくさんのことが学べます。そのきっかけ作りが、私の大切な仕事です(2013-04-14)」

日めくりカレンダーのように、日々更新される、時に厳しく、時に優しい、誰もがブチ当たる壁を超える勇気を与えてくれる末美さんの言葉。末美さんのブログ「”エリンギ職人”山田の「心」の経営と教育」ぜひご覧下さい。

2013年9月25日:ママ記者M
 
長崎県内で活躍中の女性たちや、長崎出身の県外で頑張る女性たちを、ママモニからピックアップして、インタビュー取材を行います。
「自分らしく、人生を楽しんでいるひと」「夢に向かって、頑張っているひと」「大切なことに熱中しているひと」様々なインタビューを通して、ユーザーの皆さんの自分流の楽しみ方や、何かのヒントが見つかるかも?!刺激的で元気が湧いてくる記事をアップしていく予定です!
もしかすると…つぎは貴方が旬なひと?!