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 ご自身が日々励んでいた「子育て」と、「タクシー」会社の経営。この2つを繋ぎ、女性の強い味方となるサービス「子育てタクシー」を長崎にもたらした女性社長、内田輝美さん。高来町の田園風景の中にある、地域に密着したタクシー会社が、長崎のタクシー業界を巻き込んで、今、大きな風穴を開けようとしています。弱冠20歳で3代目社長に就任し、タクシー業という男性が主体の世界で、孤軍奮闘しながらも信頼を勝ち取っていった内田さんの歩みは、壮絶…なものかと思いきや、ご本人はいたって軽やかで朗らか。「大変」なことを「大変」と感じさせない、その大きな器は、長崎の女性にぜひ目指してもらいたいものでもあります。

  「継続は力なり」をモットーとする内田さんの、「掘り下げる生き方」へのこだわりをクローズアップしてみました!

内田輝美 (うちだ てるみ) さんプロフィール
1967年 長崎県諫早市生まれ。1990年 日本大学芸術学部演劇学科卒業
1988年6月
大学在学中、母の死去に伴い、湯江タクシー有限会社代表取締役就任
2007年12月
全国子育てタクシー協会会長就任
2008年12月
諫早市タクシー協会会長就任
現在に至る

 内田さんのお父様が起業した「湯江タクシー」。内田さんは幼少の頃から、タクシーとドライバーのおじさんたちに囲まれ、タクシーは生活の一部であり人生の一部として育ってきたそうです。

 「子どもの頃から、配車の電話応対なんかもしていましたね(笑)。ドライバーのおじさんたちにも可愛がっていただきましたし、今でも父の代から働いてくれているドライバーさんがいるんですよ。ただ、ずっと身近にタクシーという存在はありましたが、跡を継ぐなんて、まったく!考えたこともなかったです」。

 初代社長のお父様を中学3年生の頃に亡くし、お母様が2代目に。

 「専業主婦だった母が突然社長になり、大変だっただろうと思います。それまで経験したことのない世界にいきなり入って、苦労もあったでしょうが、母はそれをまったく感じさせない人でした。いつも家には母を慕ってくる近所のお友達が集まっている…そんな人だったので、私も父を亡くしはしましたが、母と姉と女3人、仲良く暮らしていたんです」。

 そんな内田さんの当時の夢は「アナウンサー」。

 「いつ頃からか、アナウンサーになりたい!と思うようになっていて(笑)。高校時代の部活には放送部を選び、発声や発音などの練習に夢中になっていました。大学も東京の日本大学芸術学部へ進み、アナウンサースクールのようなものにも通っていたんですよ(笑)」。

 お母様も内田さんの夢を応援し、快く東京へ送り出してくれました。

 「今思えば、なんですけど…母は心細かったでしょうね。それでも「いいんじゃない、いってらっしゃい」と送り出してくれて、ありがたかったですよね。その頃は長崎に帰る気は全然なくて(笑)、東京で就職して、ずっと東京で暮らすものだと思っていました」。

 東京での生活にも慣れ、夢へと向かって邁進していた内田さんに大きな転機が訪れたのは、大学3年生のことでした。


 「忘れもしないです。大学の講義中に先生に呼ばれて。従姉妹が迎えに来てくれていたんですね「母が倒れた」と。当時母は、持病のリウマチが悪化していて大分の病院に入院していたのですが、その病院で倒れたのです。私はすぐに大分へ。母に付き添って1週間、容態は良くはありませんでしたが、まさか亡くなるとは考えもしませんでした。いつか良くなる、母が死ぬわけない、って信じきっていたんです。母が亡くなった時は、父が亡くなった時以上にショックで、取り乱していましたね」。

 お母様の死で呆然とする内田さんには、大きな決断が迫られていました。

 「社長である母が亡くなり、この会社をどうするのか、という危急の問題がありました。母の入院中、古参の社員の方が切り盛りしてくれていたのですが、葬儀の当日「どうする?」と訊ねられて。私は即座に「やります」と(苦笑)。なぜそういう答えを出したのか、正直、覚えていないんですけど、とにかく「やります」と答えていました」。

 弱冠20歳の女の子が、父と母の跡を継ぐと決断したのは、理屈抜きの責任感がもたらしたものだったのかもしれません。

 「とにかく大学は卒業したかったんです。それで当時の役員の方にお願いして、大学卒業まで待ってもらいました。ただ、卒業してすぐに戻っても今まで経済や経営の勉強をしたこともない私に社長業が務まるとも思えなくて、卒業後2年間、東京で簿記の専門学校へ通うことに。この2年間は、簿記の勉強はもちろんですが、アルバイトにも励みましたね。これから先できない、今までやったことがないことを、とにかく経験しておきたかったんです」。

 内田さんが経験したアルバイトは、大手出版社の編集アシスタント、デパートガール、ファッションショーの裏方、小料理屋で皿洗い……などなど多彩。中でも編集アシスタントのアルバイトは、最終的には「社員にぜひ!」と請われるまでに。

 「角川書店で編集のアルバイトをしていたんですけど、夏樹静子先生や、小川洋子先生、当時まだ駆け出しだった角田光代先生などの担当をさせてもらって(笑)。良い時代で、アルバイトなのに担当を持たせてもらえて、錚々たる作家の原稿に赤字を入れたり(笑)刺激的な仕事をさせてもらっていたんですよね」。

 長崎に戻れば「タクシー会社社長」という仕事に、これから先の人生を賭けて挑まなければならない内田さんにとって、この2年間は自分の可能性を試す最後のチャンスだったのかもしれません。とは言っても、20代前半の夢多き年頃の女性が、大手出版社からの引き止めを振り切って、よくぞ長崎へ戻れたな……と思うのですが…

 「うーーーーん(苦笑)。確かに、悩みました。迷いました。でも、自分があの時「やります」と言ったわけですから、それを裏切るわけにはいかなかった。ただ、帰ってきてしばらくは、ひどく落ち込むこともありましたよ。町がすぐに暗くなるし、あまりに、何もなくて(笑)。すべてが灰色に見えていました(苦笑)」。

 自分が下した「社長を引き継ぐ」という決断を、裏切れなかったという内田さんの強さ。若さを理由に逃げなかった潔さ。内田さんという女性の魅力はこの強さと潔さにあるような気がします。自分の運命を恨むことなく、理由をつけて逃げることもなく、ありのままを受け止め、その時、その場所でできることに精一杯取り組む。生き方の根っこが、男前なのです。そう!内田さんは女性なのですが、ホンットにカッコいいのです!

 タクシー業界を構成するのは、男性が中心。確かに近年、女性ドライバーも増えてはいますが、それでもまだまだ男性メインの職場に変わりはありません。20代半ばの女性社長は、会社内でも「お嬢さん」扱いを余儀なくされていました。

 「昔からいるドライバーさんに、こうしたらどうだろう?こういうやり方もあるんだけど…?と、提案しても、すべて「経験論」で覆されてしまうんです。最初は、社長というよりも、昔から知っているお嬢ちゃん、みたいな感じで(苦笑)。その状況を変えるために、特別なことはしていません。ただ、根が楽天的だということと(笑)、継続は力なり。今まで続けてこられたことで、ようやく「素人がプロに」なれたんだと思います」。

 社内はもちろん、業界の社長が集まる会議などでも、なかなか存在感を示せなかったと言う内田さん。

 「タクシー業界は、非常に保守的な部分がありまして(苦笑)。新しいことを言うな、するな、という風潮が確かにあったんです。特に私は女性だし、若いという点で、可愛がってはいただきましたが、発言力や説得力はありませんでしたね」。

 社内と業界内での「お嬢さん」扱いに疲弊していた内田さんを救ってくれたものがありました。

 「諫早青年会議所に誘っていただいて、入会できたんですね。若手の経営者との交流で、生活が活気づきました。国際交流委員会という、子どもたちを海外へ連れて行き学ばせる委員を務めたり、様々な経験をさせていただき、長崎での人脈が広がったんです」。

 青年会議所の活動を通して得たものの中に「人生の伴侶」と出逢えた、内田さん。ご主人も、食品加工会社の社長を務め、経営者同士での結婚となりました。13歳年上のご主人と28歳で結婚。翌年には長女が誕生し、経営者であり、妻であり、母である、という人生がスタートしたのです!

 「娘が小学校に通い始めた頃、同級生のお母さんとの会話の中で、「塾や習い事のお迎えが大変」という話を聞いたんですね。働いているお母さんが多い今の世の中、安心安全に子どもを送迎できるサービスは確かに必要だな、と。調べてみたら、香川県のタクシー会社が「子育て支援タクシー」というサービスを行っていたんです。これだ!と思いましたね。長崎にもぜひ導入したい!と資料を揃え、平成17年の年末、諫早市タクシー協会の忘年会の席上で、「子育てタクシーをやってみたい、やらせてほしい」とお願いしました。すると、今まではどんな提案も反応が薄かったのですが、この時は「やってみなさい」と承認していただけたんです。早速、香川に視察に行きノウハウを学びました。長崎に戻ってからは、タクシードライバーに「子育てドライバー」の講習会と保育所での実習を受けてもらい、運行を開始したのは平成18年の8月でした」。

 「子育てタクシー」とは、子育て講習と保育実習を修了したドライバーが、子どもをドアからドアへ送り届けてくれる、お母さんの心強い味方。保育所のお迎えの時間に、どうしても間に合わない!仕事の都合がつかずお稽古のお迎えに間に合わない!……そんな経験、働くお母さんなら誰でもあるはず。自身も働く母だからこそ、このサービスの必要性に着目した内田さんですが、実は内田さんが「子育てタクシー」を推進する理由は、他にもあるのです。

 「このサービスは、別途料金をいただくわけではありません(運賃のみ)。けれど、ドライバーには講習や実習を受けてもらわなければなりませんし、広報にも経費が必要です。そのため、利益が生まれるものではないんです。つまり費用対効果を考えると明らかに赤字事業。それでも私がこのサービスを続けているのは、タクシーの安全性、信頼感を取り戻すファクターになり得るものだと信じているからです。夜中に女性1人でタクシーに乗るのが恐い、子ども1人では不安で乗せられない……残念ですが、今やタクシーのイメージはそうなりつつあります。子育てタクシーを運用することで、タクシーが「子ども」という社会で最も守るべき存在に安全な乗り物になることができれば、タクシー自体の安全性、信頼感を裏付けられると思うんです。ひいてはタクシー業界全体の底上げに繋がると確信しています」。

 「子育てタクシー」は、単に「子育て中の母親をサポートする」という送迎サービスではなく、タクシー業界が今後進むべき道しるべでもあるという内田さん。高来町の小さなタクシー会社から、タクシー業界全体へ波及する大きなうねりを起こしているのです。

 両親を亡くし、20代にして右も左も分からないタクシー業界の社長となった内田さん。さらには、「子育てタクシー」を全国へ推進する「全国子育てタクシー協会」の会長にも就任し、各地を飛び回る急がしい日々を送っています。思いがけない出来事の連続で、若い頃に思い描いていた夢の通りの人生ではないかもしれません。けれど内田さんの人生は誰の目にも光輝いて見えます。長崎の女性へ、その秘訣を教えていただきました。

 「どんなことでもいいんです。自分の中に「プロ目線」を宿すことだと思います。私は、夕方のスーパーに買い出しに行く時、時間帯でお客さんのタイプは違うだろうか?どんなものを買うんだろうか?と買物客を観察したりするんです(笑)。漫然と買物をしているだけでは見えないものが、見ようと思えば見えてくる。夕方のスーパーですら、そうやって得るものがあるんですから、好きなもの、趣味を掘り下げていけば、きっと「プロ目線」が生まれるはずです。そこからビジネスに繋がる発見があるかもしれませんし、何より人間に深みが出ると思います。人生は、自分が「前へ進もう」と思わなければ進んでいかないもの。なんでもいい、誰にも負けないプロ目線を持つように心がけてみてほしいですね」。

【編集後記】

 内田さんとお話していて浮かんだのは、高山樗牛の名言「己の立てるところを深く掘れ。そこに必ず泉あらむ」でした。「自分が今いる場所で精一杯のことをすれば、きっと結果がついてくる」そういう意味の言葉です。誰でも、「あの時、あちらの道を選んでいれば…」「もっと他の生き方があるのでは?」「別の会社ならもっと評価してもらえるのでは?」なんて、考えてしまいますよね。もちろん、新天地を目指して動くことも時には必要かもしれません。けれど、その前に。今、自分が立つ場所で、今与えられたことに懸命に取り組む、そういう「掘り下げる」姿勢も必要なのではないでしょうか。内田さんには、たくさんの夢がありました。家庭の事情で夢を追う生き方はできなくなりましたが、今自身に与えられた場所で、内田さんは見事に泉を湧かせました。生きがいとなる仕事、大切な人生のパートナー、愛する家族…。すべては、「自分が立つ場所」で内田さんが得たもの。内田さん流「掘り下げる生き方」を、皆さんもぜひ!

子育てを頑張るママたちに朗報です!小さいお子様連れのママや、お子さんだけの送迎をお願いしたいママにも、安心して利用出来る「子育てタクシー」。このサービスは全国各地に広がりを見せています。詳しくは、内田輝美さんのブログからホームページへアクセス!!

2012年03月05日:ママ記者M
 
長崎県内で活躍中の女性たちや、長崎出身の県外で頑張る女性たちを、ママモニからピックアップして、インタビュー取材を行います。
「自分らしく、人生を楽しんでいるひと」「夢に向かって、頑張っているひと」「大切なことに熱中しているひと」様々なインタビューを通して、ユーザーの皆さんの自分流の楽しみ方や、何かのヒントが見つかるかも?! 刺激的で元気が湧いてくる記事をアップしていく予定です!
もしかすると…つぎは貴方が旬なひと?!