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 お酒好きにはたまらない逸品として、今長崎はもとより全国からも注文が相次ぐ『魚屋の鯖の燻製』。脂が乗った長崎産の鯖を特製のタレに漬け込んで、燻製するという贅沢な「酒の肴の魚」は、諫早にある老舗鮮魚店のオリジナル。このお酒好きの心を掴んで離さない『魚屋の鯖の燻製』を考案した方が、今回の旬な女性、〈竹野鮮魚〉三代目 松田充佐子さんです。「これが魚パワーか…!」。松田さんに一目会って何が驚いたって、その若々しさと、美貌。小柄ながら均整のとれたスタイルに、肌の透明感とハリも女性ならば「化粧品は何を使ってるんですか?」と聞きたくなるというもの。し、しかも、松田さんの年齢を知ってしまったら尚更、「美しさのヒミツを教えてください!」なのです。「毎日魚を食べることかなぁ」とイタズラっぽく笑顔を見せる松田充佐子さんには、会った瞬間から「充佐子ワールド」に相手を引き込む強烈な引力があるみたい。鮮魚店の三代目としてのチャキチャキの顔と、女性らしい軽やかさ、主婦ならではの発想で長崎から全国へ「美味しさと元気」を届ける「鮮魚主婦」松田さんを大解剖です!

 1995年創業の「竹野鮮魚」の初代は「タケノ」おばあちゃん。松田さんの母方の祖母にあたる方です。「子どもの頃、両親は大阪。私は祖父母と島原で暮らしていて。おじいちゃんが伝馬船(手漕ぎ船)で釣って来た魚をタケノおばあちゃんがリヤカーで行商に行くんです。よく一緒に回ってましたねぇ。朝から刺身で、夜はフグなんて当たり前(笑)。新鮮な魚を毎日食べていました(笑)。今思うとすごく贅沢ですよね。おばあちゃんには本当に可愛がってもらいました」。

 ご両親と離ればなれの幼少時代。それでもタケノおばあちゃんの愛情と、鮮度バツグンのお魚パワーをたっぷりに受けた松田さんは、天真爛漫な少女へと成長していきました。
 松田さんが小学5年生の時、大阪から両親が島原へ戻り「竹野鮮魚」を継ぐことになったそう。「家業が魚屋になってからは、日曜日は店の手伝い。父がすごく厳しい人で、“子どもは親の言うことを聞いておけばいい!”と、遊ばせてくれなかったんです。進路も、“オンナに学歴なんかいらん”って先に進学する高校も決められて…。大学に行きたいと言える状況じゃなかったんですよね」。

 松田さんが高校2年生の時、島原から現在の諫早市・旧有門市場へ移転した「竹野鮮魚」は、先代の先見の明とバブルの好景気も合わさり、大きく成長していったそう。順調な売り上げで大きくなる家業と反比例するように、松田さんの「自由」な時間は削られていきました。高校卒業から家業を支えてきた松田さんは、一番遊びたい、色んな挑戦をしてみたい年頃に「家」と「両親」に縛られ、もがいていたのです。

 「18歳の頃から、1年のうち364日は長靴を履いてました(苦笑)。唯一、休めるのは元旦だけ。大晦日は鉢盛りの注文が殺到して最後まで配達で大忙し。コタツで紅白を観たこともなければ、除夜の鐘をゆっくり聞いたこともなかったです。そんな毎日でしたけど、朝早起きしてサーフィンに行ったり、睡眠を削って飲みに行ったり(笑)どうにか遊びはしていました(笑)」。同じ年頃の女の子の毎日とは、まるで違う松田さんの日常。日々、「今を飛び出したい!」という思いが募っていったそうです。

 「一人娘でしたし、親に対する感謝もありましたから、どうにか思いとどまっていたんですけど…26歳の時についに家を出たんです」。

 一人暮らしを始め、就職した松田さんを待っていたのは、運命の出逢いでした。職場で出逢ったご主人と、スピード結婚。

 「ずっと普通の主婦になりたかったんです。私自身が、子どもの頃、親と離れて暮らしていたこともあるんですが、子どもと公園に行ったり、休みの日に家族で過ごしたり、そういう平凡な毎日にとても憧れていて。だから結婚して子どもが生まれて、すごく幸せでしたね。公園の砂場で遊んでいる息子を見ている時、「すごく幸せだなぁ」と感動したり。主人はね、私を全面的に認めてくれるような人で、例えて言うと「オレの嫁が冷蔵庫を風呂場に置くって言うなら、オレはそれでかまわん。ダンナのオレがイイって言うとやけん、よかと」って(笑)、いいでしょ?主人がそう言って私を認めてくれたことで、自分の生き方は自分の意志で決めていいんだ、と気づかせてもらいましたね」。
ご主人との出逢いで、さらに自分らしさを取り戻し、生き生きと専業主婦生活を楽しんでいた松田さんが、再び家業を手伝うようになったその理由とは?

 「魚屋に戻った理由ですか?それはですね…大好きな魚が欲しかったからです。魚屋をやめてから、「魚が意外と高い」ことに驚いて(笑)。実家に行けば、タダでもらえますからねぇ……というのは、冗談なんですけど(笑)。もうひとつは、孫に対しては、あれだけ厳しかった父もウソのように甘くて、とても可愛がってくれたんですよね。孫を通して、少し歩み寄った部分もあったのかな。今ならもう一度手伝ってもいいかな、と思えたんです」。

 家業の手伝いに復帰した松田さんですが、この時はまだあくまで「お手伝い」。松田さんが「鮮魚主婦」となったのは、今から5年前のことでした。

 「父が肝臓がんを患って。初めは「体がキツい。疲れが取れない」という感じで、これといった症状はなかったんです。ただ、とりあえず心配だから健康診断に行ってみれば?という軽い感じで、病院に連れて行ったら、肝臓がんだと。手術できない場所にがんがあって、本人に知らせないまま、5ヵ月後には他界してしまいました。あれだけ厳しかった父が、亡くなる時は本当に可愛いおじいちゃんになって、「ありがとう、ありがとう」って言ってくれて。私自身救われた瞬間でした。ただ、あまりに急なことで、お店をどうするか、何も決められないままだったんですが、昔からうちで働いてくれている職人のひろちゃんと、くまちゃんと3人で話し合って。2人がこのままうちで働きたいと言ってくれたんですね。それなら私が継ぐしかないと、大好きだった「タケノ」おばあちゃんの名前を残して、三代目を引き継ぐことにしたんです。主人も「やりたいなら好きなようにすればいい」と、この時も私の意志を全面的に尊重してくれて、踏み出すきっかけになりましたね」。

 1995年創業の老舗鮮魚店。松田さんは三代目を引き継ぐにあたって、「うちのお得意さんには、料亭やお寿司屋さん、ホテルもありますから、先代の頃と比べて、鮮度が落ちたとか、良い魚が減ったとか言われたくないと思いましたね。昔と変わらない、昔以上の「竹野鮮魚」にしなくては!と」。大型いけすを完備した強みを生かして県内産の魚介を中心に、バツグンの鮮度を保ったまま、お客様へ…というのも松田さんの心意気です。お刺身も、パック売りにはせず、注文が来てから捌くためとにかく新鮮!職人さんが丁寧に1本残らず骨を抜いた介護食用の切り身も「先代の頃から変わらないやり方。腕のいい職人がいるからできることです」と松田さんは胸を張ります。先代の頃からお店を支えてくれた腕の良い職人さんに仕入れや調理などは任せて、松田さんは「看板娘」「宣伝部長」としての役割を一手に引き受けました。以前は、パソコンなどの機械いじりは苦手だった松田さんが、パソコンを始め、ホームページ、ネットショップ、ブログ、Twitter、facebookなどに挑戦!「町の鮮魚店」という枠から飛び出し「諫早の鮮魚店」へ、さらに「長崎の鮮魚店」へとネットワークを広げていきました。「私のブログやTwitterを見て来店してくれる方がいて、それも驚きましたね。見てくれる人がおるとねぇ!って(笑)」。

 取材中、お母さんと一緒に小さな女の子が来店しました。お母さん曰く、「うちの子はここの魚じゃないと、分かるんですよ。「コレ、ミサちゃんの魚じゃないやろ?」って(笑)」。なんとこの親子は、長崎市内からわざわざ買いに来るほどの「ミサさんの魚」のファン。Twitterで竹野鮮魚と松田さんを知り、その魅力の虜になったそうです。

 「魚嫌いの子どもが増えていますけど、それは美味しい魚を食べていないからだと思うんです。本当に新鮮な魚は臭みもないし、美味しいもの。だから、子どもたちにも鮮度の高い美味しい魚を食べさせてほしいですよね」。松田さんのポリシーは至ってシンプル。「美味しいものを食べると幸せじゃないですか。だから美味しいものを発信して、みんなに幸せになってほしいんです」。

 「美味しいものは人を幸せにする」という、シンプルだけど人生の真理とも言える信念を持つ松田さんは、三代目を引き継いでから魚を使った商品の開発にも取組んでいます。
 その中で、長崎が全国一位の水揚げを誇る「鯖」の有効活用を模索し、生み出されたのが「鯖の燻製」だったそう。「脂が乗った長崎県産の鯖は、お刺身でも食べられるほど新鮮なもの。これを特製のタレに漬け込んで、燻製にします。私はお酒が大好きで、お酒の肴に何か創りたい!と思い、試行錯誤して創りあげました。この燻製を、小浜の伊勢屋旅館の女将さんがとても気に入ってくださって、旅館の料理にも使っていただいてるんですよ。女将さんのアドバイスで、パッケージを変えて、さらに新製品の開発にもご協力いただいています」。

 「今日の晩ご飯、何にしよう?」と頭を悩ませたり、「お魚を使いたいけど、後の処理が…」と躊躇する主婦の気持ちがよく分かるという松田さん。専業主婦時代に培われた「普通の目線」は、今や松田さんの一番の武器になっています。どうすれば主婦が気軽に魚料理を食卓に並べることができるか、子どもたちが魚を好きになって喜んで食べてくれるか、松田さんの頭は常にフル稼働。情報の発信に、ホームページや、ソーシャルネットワークなどを駆使するようになってから、「竹野鮮魚」の名前は全国へと広がり始めています。「タケノおばあちゃんが築き上げて、父が大きく育てた「竹野鮮魚」の名前を全国ブランドへ。それが今の私の目標かな」。それもそう遠くない未来に叶いそうな勢いです。

 一方で、松田さんが大切にしているのは「フェイス・トゥ・フェイス」の、お客様との関わり。「86歳のおばあちゃんが『ここの刺身しか、うちんとが食べんとさ』と…毎日ご来店くださいます。実は9年前に亡くなったご主人が、今も生きていると思っていらっしゃって、もちろん、ご家族もそれを黙って認めていらっしゃるんです。うちでもそれに合わせて、対応してるんですよ。こういう物語も、個人店舗だからこそ。それも幸せだなって思います」。こんな温かな物語が日々紡がれていく「町の鮮魚店」ならではの喜びも、松田さんの原動力になっているようです。

 両親と離れて暮らし、寂しさを感じていた幼少期、女の子らしい楽しみをあまり知ることなく過ごした少女時代、両親との確執の中で悩み続けた青春時代。現在の底抜けに明るい笑顔からは想像できないことですが、人生に絶望したこともあったという松田さん。「苦しくて、何で私だけがこんな目に遭うんだろう…と悩んだこともありました。若い頃って、そうじゃないですか。周りから見たら「何でそんなに悩んでるの?」ということでも、本人にとっては、生きていけないほどのことだったりするでしょう。今になって、あの頃の私に声をかけてあげたいな、と思うんですよ。「大丈夫だからね」って。「今、どんなに辛くても、未来の私はこんなに元気で頑張っているよ、だから心配しなくて大丈夫だよ」って。誰だっていろんな悩みを抱えていると思いますけど、私が言えるのは、「過去にとらわれず、前をしっかりと向いて、自分を信じて頑張っていれば、何があっても大丈夫」ということ。今、改めて振り返ってみると、人との出会いやタイミングにも、決して偶然ではなく、全ての出会いに運命的なもの感じています。主人との出会い、仕事仲間や、友人、知人たちとの出会い、出会うべくして出会ってきたように感じていますし、今の私があるのも、その周囲の人たちに支えられてきたと、本当に感謝しています。自分を信じて、どんな状況もおもしろがって前向きに頑張っていけば、きっと大丈夫なんです」。


【編集後記】
 今現在の松田さんが、溌剌と美しく、周囲の人も笑顔にできる強さがあるのは、苦悩した過去を生きてきたからかもしれません。痛みを知る人だから、人に優しくできる。地元の人に愛される松田さんの鮮魚店には、いつも笑顔が溢れています。ここを訪れる人は、お魚だけではなく松田さんの笑顔も求めて来ているみたい。ピチピチの鮮魚と、ピチピチの松田さん、こんなに楽しい気分になれる魚屋さんは初めてでした!

2011年09月21日:ママ記者M
 
長崎県内で活躍中の女性たちや、長崎出身の県外で頑張る女性たちを、ママモニからピックアップして、インタビュー取材を行います。
「自分らしく、人生を楽しんでいるひと」「夢に向かって、頑張っているひと」「大切なことに熱中しているひと」様々なインタビューを通して、ユーザーの皆さんの自分流の楽しみ方や、何かのヒントが見つかるかも?! 刺激的で元気が湧いてくる記事をアップしていく予定です!
もしかすると…つぎは貴方が旬なひと?!