黒川公子さんは広島県出身ですが、ご主人の転勤で20代の終わりに長崎の大瀬戸へ。今から30年以上前の大瀬戸は、「田舎」と呼ぶに相応しい長閑な町。黒川さんは2人の娘さんの子育てと主婦業に没頭する毎日を送っていたそうです。
「結婚したのが22歳の時。それから主婦として夫と子どもを支えてきました。夫はね、とても活動的な人で、休みともなると1人で釣りに行ったり、ツーリングに行ったり、好きなようにやっていましたね(笑)。いつも子どもと留守番の私は、それが羨ましくて。そういう私を気遣ってくれたのか、下の娘が3才になって子育てが一段落した時、主人が「琴でも始めれば?」と勧めてくれて、お稽古に行くようになりました」。
長崎に来る少し前から始めた「琴」を、大瀬戸に来ても続けるためには教室のある長崎市へ通う必要があったそう。今でこそ道も交通も整っていますが、当時は長崎市へ行くのも一苦労。
「最初はバスで通っていましたが、それも本当に大変で…。結局、琴のために免許を取ったんですよ(笑)。琴を弾くのが本当に楽しくて。悩みがあっても琴を弾いている間は忘れられましたし、琴を習いに行くことで人との繋がりもでき、それも日々の楽しみになっていきました。台風など止むに止まれぬ事情以外では、お稽古を休むことはなかったです。娘が熱を出しても、お稽古の前までに治るように、がんばって看病したり(笑)」。
9年という長い滞在となった大瀬戸在住時に、黒川さんは「生田流箏曲筑紫会師範」を取得し、琴教室「箏遊会(そうゆうかい)」を開きます。再び、ご主人の転勤で大瀬戸を離れることになった時、黒川さんは「大瀬戸」という町と人へ恩返しとしてのコンサートを企画しました。
「その頃の大瀬戸では、琴どころか演奏会というものも滅多になくて。お世話になった皆さんに音楽のプレゼントをしようと、場所を借りたり演奏家の方を招いたり。初めて主催したコンサートは、皆さんに喜んでもらいました」。
琴を教える、琴を奏で聴かせる、という喜びを、主婦のスペシャリストであった黒川さんは、40歳を目前に手に入れたのです。
|