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 アメリカで6年暮らし、帰国後、紆余曲折を経て東京でファッション関係の仕事をバリバリにこなしている現役主婦…。ドラマの主人公だって、こんなプロフィール持っていません!ところが、です。いたんです、いるんです!「事実は小説よりも奇なり」を地で行くドラマティックな素敵女性が。しかも、長崎出身なんです。工藤亮子さんのプロフィールの表面だけを見ていると、それはもう完璧な女性。強くて賢くて、順風満帆で、挫折知らずで誰もがうらやむような「現在」を手に入れた成功者。確かに、そう。そうなんですが……お話を聞いているうちに「あら?あらら??」…勝手に思い描いていた工藤さん像が、とても良い意味で裏切られていくのです。誰よりも「本当に自分がしたいことは何か?」を追求し、時に立ち止まり深く考えて、後悔のない選択をしてきた人。単に育ちの良いお嬢様ではなく、しっかりと自分の道を自分自身の力で切り開いてきた人。だから強い。だから魅力的。工藤亮子さんという女性の生き方は、自分の夢への実現の一歩をためらっている人に、きっと前へ進む勇気を与えてくれるはずです!

 「父は高校の英語教師、母は家事を完璧にこなす専業主婦。とても厳格な家庭で育てられ、いわゆる優等生キャラでした。父の影響というか、「お前も先生になるんだよ、なるんだよ…」と言われ続けていて、いつの間にか「私も将来は先生になるんだな」と考えるように(笑)。「なりたい」ではなく、「なる」って。父の転勤の関係で対馬の高校を卒業し、広島大学の学校教育学部に進学したんですが、それが最初の転機ですね。バドミントンのサークルに入って、当時メンバーが80名位いたと思います。いろんな学部の人が集まって、その人数分だけ将来の夢があって、「教師以外の職業の選択肢」に気づかされたんです。それまでは本当に「教師」以外の道があるなんて考えたこともありませんでしたね」。

 「教師になる」という目標に、ある日ふと疑問を抱いた工藤さん。

 「本当は英語を専攻したかったんですが、たまたま音楽を専攻することになって。それも進路に対する葛藤に拍車をかけていましたね。卒業にあたって、進路をさぁどうしようとなった時、とりあえず広島県の教員採用試験を受けたんですが、合格できず(笑)。とにかく就職氷河期で、東京や大阪の大手企業を受けてみましたが、それもダメ。いよいよ、どうしよう…と」。

 ここで工藤さんは、自分に問いかけました。「私が本当にやりたいことは、何?」。親から刷り込まれた夢ではなく、自分の直感や衝動に忠実に従おうと考えた工藤さんが描いた未来、それが「渡米」だったのです。

 「大学2年生の頃、イギリスに1ヶ月ほど留学したことがあったんですが、よし、もっと英語を深めようと思って。イギリスには行ったから、今度はアメリカにしよう!(笑)
 ただ、留学となると費用の面でどうしても親の援助が必要だったので、当時まだ対馬にいた両親に留学に関する資料を持って会いに行きました。最初は、もう大反対!「教員免許があるんだから、長崎に戻ってくればいいじゃないか」とか、説得しに行ったのに逆に説得されるような展開でした。それでも何日間か話し合い、1年間だけの留学で、帰国したら英語の教師になるから、という条件でようやく許してもらえたのです。最終的には、頑なだった父親が「行って来い」と背中を押してくれましたね。父も英語教師なのですが、留学ができなかったので、自分ができなかったことを私にさせたいと思ってくれたようでした」。

 こうして、卒業後アメリカに渡り、語学をさらに磨くことにした工藤さん。実は、この留学で工藤さんは大きな出会いを経験します。

 「アメリカの語学学校で、主人と出会ったんですよ(照)。彼は高校卒業で渡米して来ていたので、4つ年下。その頃は、1ドルが140円から150円位で、10万円の仕送りがあっても650ドル位しかならなくて。毎日ハンバーガーしか食べられないような生活でした」。

 カリフォルニアの田舎町でホームステイをしながら勉強に励む生活は、あっという間に過ぎ去り、ご両親との約束だった1年を迎えた工藤さん。未来のだんな様になる恋人を残して帰国することを決めました。

 「帰国時に、両親は「もっとアメリカにいたいんじゃないの?」と言ってくれたのですが、実際生活は苦しく、とは言えこれ以上、親に頼るわけにもいかないと思って一旦、福岡で就職したんです。彼とは、海を越えての超遠距離恋愛(笑)。電話代は1ヶ月6万円かかったこともありますし、今と違ってメールもない頃でしたから、ファックスを送ったり…。半年ほど経った時、もう一度アメリカに行きたい!と思うようになって。親に話すと「行くなら自分の力でどうぞ」(笑)。それからは、昼間は派遣で働いて、夜は居酒屋で走り回って…とにかく資金を貯めました。彼は「僕のために戻ってくるなら止めてくれ、自分の勉強のためなら戻っておいで」というスタンス。LAの翻訳と通訳の専門学校に通うことを決め、25歳で再渡米しました」。

 自力での再渡米。もちろん、「恋の力」が大きく作用したことは言うまでもないのですが、それでもかつては、親の期待に応えることに注力していた少女が、自分の道を自分の足で歩き始めた証だったのです。

 英語の道で生きていこう、という目的を果たすために翻訳と通訳の専門学校に4年間通うことにした工藤さん。アメリカでの充実した日々。それと同時に不安を感じる出来事にも遭遇し、次第に心は揺れるようになったそう。

 「実は、28歳の時に彼と別れてしまって(笑)。その1年後に彼は帰国してしまったんですよね。私はそのまま残って、日本からの留学生とルームシェアをしながら暮らしていましたが、この先どうしようか…と考え始めていて。このままアメリカに残るのか、帰国するのか、ビザが切れるタイミングでもあり、かなり悩みました。そんなある日、病気になったんですよね。保険がきかないという怖さがあって、動揺しながら運転していたら、交通事故を起こしてしまいました。その時は大事にはならなかったのですが、数週間後に酔っ払いに追突され、通報している間に逃亡(苦笑)。犯人は捕まったものの、裁判まで経験することになってしまいました。立て続けにトラブルに見舞われて、なんとも言えない孤独感を感じるようになっていた頃でした。それでもまだ、どうするか明確な答えは自分の中に出ていなかったのですが、ある日、買物をしていて「これは日本に持って帰れるかな」という選び方をしている自分に気がついたんですね。専門学校卒業後は、帰国してからの準備と帰国費用のためにがむしゃらに働きました。日本のアパレルのバイヤーが渡米した時に通訳として同行したり、アメリカのブランドをリサーチしたり、そういった仕事をフリーでするうちに、「ファッション」業界への憧れが生まれるようになりました。当時は、女性起業家の書籍もよく読んでいましたし、いずれは自分で起業したいな、と漠然とではありましたが考えるようになっていました」。

 自分の内なる声に耳を傾ける。工藤さんが何か分岐点で悩んだ時、答えを出すのは常に「自分自身」。誰かのアドバイスを受けることも、誰かの生き方に学ぶことも時には有効かもしれません。けれど、自分自身の人生に責任を取れるのは「自分」しかいないのです。工藤さんの直感的な生き方には、そうした自分への「責任」が感じられるように思います。

 「新しい人生のスタートになるので、帰国したら東京で勝負だ!と思って(笑)。最初はある企業の通訳として働くことが決まっていたのですが、その仕事が事情によりなくなってしまいまして。恋人なし、貯金も使い果たし、もう途方に暮れるしかなかった時、高校時代からの友人の紹介で「ATACカンファレンス」という、障害のある人や高齢者の自立生活を支援するカンファレンスの事務局の仕事に就きました。年に1度のカンファレンスを無事成功させることができたのですが、帰国前に考えていた仕事とは全然違うもの。まったく違う仕事をしたからこそ、本当に自分が何を求めているかが分かったんですよね。やっぱり「ファッション」の仕事がしたい!と改めて湧き上がるものがあり、ジュエリーの会社に転職することにしたんです。ジュエリーブランドのPRアシスタントとして、展示会を開催したり、雑誌に掲載してもらったり。自分が手がけた広告や記事で反応が出ると、それはもう嬉しいものでした。ショップでの販売も経験したのですが、お客様に「どれが似合うと思います?」と訊かれるんですね。同じデザインでも色や石、地金が違うと似合ったり、そうでなかったりするのが不思議で。何か理由があるのかな?と考えるようになりました。でもその頃は、感覚的に似合う色、似合うデザインがどうやらあるらしい、というくらいだったのですが、調べていくうちに「パーソナルカラー」という概念に出会ったんです」。

 一人一人の「個性」=「魅力」を引きだしてくれる色「パーソナルカラー」。また、色だけでなく、ラインやデザインも考慮し、ご自身の顔型や体型を知ることで、魅力を最大限引き出すことができるのです。工藤さんは、またしても「内なる声」に突き動かされ、「パーソナルカラー」「イメージコンサルティング」「コーディネート」を学び始めました。

 「化粧品製造販売の会社で働きながら、スクールに通って勉強していたのですが、ずっと悩んでいましたね。「このままの状態で過ごすのか、新しいステップへ挑戦するのか、どちらが自分にとって後悔がないだろう?」って。最終的には、「後悔しない方」を選ぶ、というのが私の生き方。結局、会社を辞めて、「イメージコンサルタント」として独立しようと決めたのですが、特別な人脈があったわけでも、資金があったわけでもありません。でも、行動しなければチャンスも訪れません。今では、素晴らしいクライアントにも仲間にも恵まれ、現在では企業のPRやイメージコンサルティング、経営者の方のブランディングをサポートしています。あれこれ考えるよりも、とにかく動いてみる。考えすぎて何もせずに後悔するより、少しずつ築き上げていく生き方の方が楽しいと思います」。

 後悔しない生き方を。それはきっと誰もが願うことですが、実行に移すのはそれこそ至難の業。工藤さんのこれまでの人生を見ていると、挑戦し続けたからこその「今」なんだと気づかされるのです。どこかで諦めたり、自分の内なる声に耳を塞いでしまっていたら、今の工藤さんは在りえません。誰でも、したいこと、なりたい自分、憧れの未来像があるはず。それに挑戦しないのは、自分の可能性を自分で摘み取っているようなものです。失敗しても「挑戦した」という現実は、一生残る誇りになるはず。まずは、立ち止まり、自分自身に問いかけてみませんか?「私が本当にしたいこと、なりたいものは何?」と。その答えに耳を傾けること、そこから何かが始まることを工藤さんは教えてくれました。

 さて、最後に工藤さんの「恋バナ」の結末を。アメリカで出会い、4年交際し、アメリカで別れてしまった「彼」と、3年半後に再会。交際が復活し、2年後見事にゴールイン!
誰よりも工藤さんの生き方に共感し応援してくれる、素晴らしいだんな様との巡り会いも、工藤さんが渡米を決めたところから始まっているのです。恋も仕事も、自分に正直に。うむ、工藤さんを見習ってみよう!

工藤亮子さんのブログはコチラ

平成22年12月10日カナリア書房 から出版された 「日本男子改造計画」

日本男子を磨く18のサービスが、一挙に紹介された男性向けのライフスタイル本です。
この中で、イメージコンサルタントとして、工藤亮子さんがご紹介されています!
ぜひ、一度、手にとってご覧ください。

工藤亮子さんの本の紹介ページはコチラ
2011年04月27日:ママ記者M
 
長崎県内で活躍中の女性たちや、長崎出身の県外で頑張る女性たちを、ママモニからピックアップして、インタビュー取材を行います。
「自分らしく、人生を楽しんでいるひと」「夢に向かって、頑張っているひと」「大切なことに熱中しているひと」様々なインタビューを通して、ユーザーの皆さんの自分流の楽しみ方や、何かのヒントが見つかるかも?! 刺激的で元気が湧いてくる記事をアップしていく予定です!
もしかすると…つぎは貴方が旬なひと?!