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長崎の旬なひと 濱田真理子さん

人はどれだけ強くなれるのでしょう。時に「神」の存在すら信じられなくなるほどの幾多の苦難をくぐり抜け、壁をよじ登り、何度も躓きながら、それでも逞しく。周りを照らすほどの笑顔を携えて前へと進む……。

色白の肌と、笑うと顔をのぞかせるエクボが、あどけなささえ感じさせる濱田真理子さん。今、彼女は諫早市でマインドセラピスト、ヒューマンインタラクターとして活発に飛び回っています。今年36歳になった濱田さんの人生は、常に何かにのめり込み、道を極めようとひたむきに行動する姿勢が根底にあるようです。

今回は、「濱田真理子」さんという一人の女性の溢れんばかりの情熱の源泉、人をも巻き込む強烈な磁場をご紹介したいと思います。

プロはだしの“ハスラー”時代。好きなものにのめり込む強さの源。

「生まれは山口県下関。大学で長崎に来て、ビリヤードと出逢いました。18歳の頃だったかな。始めは遊びで撞いていたんですけど、だんだんと“ビリヤード”というスポーツの魅力に取り憑かれていきました。毎日のようにビリヤード場に通い、当時、長崎で一番上手いという人に教えてもらうこともできて、どんどんビリヤードが好きになっていきましたね。私がやっていたのは、ポケットビリヤードなんですが、球をポケットに入れるという行為はもちろん、入れるまでの球の動かし方を考えるものなんですよ。物理とかパズルゲームと同じなので、白の手玉をコントロールしながら、いかに球を落とすかを競い合うんです。こう撞けばこう動く、といった方程式もたくさんあるし、頭の良さも求められます。さらに試合ともなると、普段練習している状態をいかにキープできるかの強い精神力の勝負にもなるし、ビリヤードは、メンタルや頭脳を使ったスポーツ。ビリヤードのおかげで精神を鍛錬することができましたし、いかに平常心を保つかとか、粘り強さとか、諦めない心を学びました。プロ、という道もありましたが、私の目標は「全国区で有名なアマチュア選手」(笑)。腕をどんどん磨いていって「プロになりなさい」と誰かに言われる時が来れば、その時はプロになってもいいかなぁ…なんて漠然とした考えでした。その頃、2つ年上にプロの女性プレイヤーがいて、彼女と競い合うカタチで、どんどん上達していましたね。卒業後はアルバイトをしていたビリヤード場にそのまま就職し、ビリヤード修行を続けていました」。

長崎はもちろん、九州でも女性プレイヤーとして名前を轟かせるようになっていた濱田さん。そのまま進んでいけば、きっと全国でも有名なプレイヤーになっていたことでしょう。しかし、ここで神様は思いもかけない試練を濱田さんに課したのです。


瀕死の重傷を負った大事故からの生還。

24歳の濱田さんを突然襲った悲劇。路面電車にはねられ、左足を巻き込まれるという大事故でした。

「ちょうど電停で降りて、横断歩道を渡ろうとした瞬間、ハッと気づいたらすぐ側まで電車が来ていたんです。ちょうど長崎くんちがあっていて街中が賑わっている最中で、そんな時の事故だったために、私にはもちろん自覚はなかったのですが、大騒ぎだったみたいですね。おかしなもので、はねられたということは分かっているんですけど、考えていることと言えば「あ〜これで親に色々と怒られるなぁ」とか「買い出しに行ってないな」とか、そういうことばかり(笑)。どれだけのケガかとか事故かとか、まったく分からなくて。後になって、左足は電車に巻き込まれてグチャグチャで、その上、顔面骨折、肋骨とかも折れていて、瀕死の重傷だったと知りました。今でも思います、よく生きてるな、って」。

命さえ危ういような大ケガを負った濱田さんでしたが、懸命な治療とご両親や当時つき合っていた恋人の支えもあり、危機を脱しました。

「とにかく痛くて痛くて、鎮痛剤や精神安定剤に頼る毎日でした。左足は最初、お医者さんが懸命に繋いでくれて切断はしていなかったんです。でも1ヶ月が経った頃、足先に血液が回らなくなっていて壊死し始めていて。とは言っても普段は包帯でグルグル巻きですから、私には今一つ実感がなかった。だから漠然と、「なんとか治るだろう」と希望的観測があったんです。そんなある日、婦長さんに「もうダメだから、切らないといけない。覚悟を持ってほしいから自分の目でちゃんと足を見てほしい」と。お医者さんが言うんだから、切らなきゃいけないんだろうな、とは思いましたけど、正直「足を失う」ということが、実感としては湧かなくて…。当時の恋人が「オレが支えていくから」と言ってくれていたし、家族もいたし、こんなにたくさんの支えがあるなら、きっと大丈夫だろうと、最終的には思いましたね」。

片足を失う、というあまりに過酷な現実に突如向き合わされた濱田さんでしたが、持ち前の前向きな姿勢でこの最大の試練を乗り越えようとしていました。

「私、ネアカだと思うんですよ(笑)。当時のことをあまりよく覚えてはいないんですが、恋人も支えてくれると言ったし、悲劇のヒロイン…ではないけどなんとか明るく生きていこう、生きていける!と思っていたのかな。ただ、母には随分と当たり散らしましたね。唯一の甘えられる存在だったから…母は辛かったと思います」。

全てを屈託のない笑顔で話してくれる濱田さん。辛い日々を明るく笑い飛ばせる強さをどうやって手に入れたのでしょうか。




強制的に「生きる」ことを考えさせられ、出した答え。

見た目には足を失ったことも、義足であることもまったく感じさせないほどに回復していった濱田さんでしたが、心の内側では様々な葛藤があったと言います。

「実は退院してからの実生活の方がずっとつらい日々でした。靴がなかなか脱げなくて、それを見られるのがとても苦痛。上手に歩けないからスリッパを勧められるのもイヤ。義足が90度以上曲がらないから、階段がスムーズに降りられない。和式のトイレに入れない。好きな靴が履けないことも、ミニスカートが着れないことも、二度と海水浴に行けないことも…泣きたくなることの連続。なんで義足なの?って聞かれることも、どうして事故にあったの?と聞かれることも、すごくイヤでイヤでたまらなかった。でも、こうした気持ちって時間が少しずつ溶かしてくれるんですね。時が経って乗り越えていくうちに、「真理子ちゃんって突き抜けてるよね」と言われるようになりました。その感じ、自分でも解るんです。大ケガとか大病とか…「人は死ぬ目に遭うと強制的にどこか別のステージに移される」。生死の境を見た人って、自分が望んだわけではなく、神様から否応なしに「生きる」ことを考えさせられると思うんです。生きることについて考えるって、健康な時や幸せな時にはしないでしょ?死ぬほどの目に遭った時、初めて「生」を実感できるんです。人は生まれたら必ず死ぬのに「死」を実感しながら生きている人はほとんどいない。忘れていますよね、いずれ「死」が訪れるということを。でも私は「死」を突き付けられたことで、「生きる」ことと真剣に向き合うようになったんです。それは、ポーンと別のステージへ飛ばされたような感覚でした」。

安穏とした毎日の中では忘れてしまう「人はいずれ死を迎える」という大前提ともいうべき事実。死の淵を歩いた濱田さんは「生きること、死ぬことを真剣に考えさせられる機会を得た自分はラッキーだ」と話してくれました。自分を襲った不幸な出来事の中にさえ、「ラッキー」という光を見出せる濱田さんは、真の逞しさに満ちているのです。


セラピストとしてのスタート。発展形としてのインタラクター。

「足の傷も癒えて普通の生活を送っていた31歳の頃、少しずつ少しずつ何もかもが上手くいかなくなっていたんです。恋人と別れ、タバコを止めたら体重がすごく増えて、足までも痛くなってきて、外にも出たくない……すっかり負のスパイラルにはまってしまって。そんな時に、「色」の持つチカラを実感する出来事があったんです。私は「黒」がすごく好きで、黒い服ばかり着ていたんですが、ある人に「黒は喪服の色だから着ない方がいいよ」とアドバイスされて。しばらく黒い服を避けていたんですが、無性に黒が着たくて着たくてたまらない(笑)。その時ふと、30歳も過ぎれば自分という人間のことはだいたい分かっていると思っていたのに、「“黒”に執着する自分の気持ちすら分からないなんて…あぁ、私って自分のことを少しも分かってないんだな」と気づいたんです。それで、せめて「黒」に対するこの気持ちだけでも解き明かそうと思って、色彩心理学にぶつかったんですね。黒という色が表す心理は「自分の気持ちを隠そうとする」「威厳を保つ」。なるほどなぁ、とすごく自分がよく分かったんですね。そこから、色彩心理学、カラーセラピーと勉強を始め、カラーセラピストの道を進んで行くことにしたんです」。

自分自身と向き合うために始めたカラーセラピストとしての学習でしたが、色の持つチカラに濱田さんはのめり込み、持ち前の究道精神で知識を蓄えていきます。これまでの人生経験と合わせて、濱田さんのセラピーは多くの人を勇気づけ、心の重荷を解く手助けとなっていることでしょう。現在では、カラーにこだわらず、心をより深く解きほぐすマインドセラピストとしても活躍中です。

「過去は変わる、って知ってますか?普通、未来は変えられるけど、過去は消せない、変えられないって考えるじゃないですか。ある人に教えてもらったんです。今が輝けば輝くほど、消せない過去までもキラキラと輝きだす。過去そのものが変わるというよりも、過去の見え方が変わってくるんです。どんなに過去に栄光があったとしても、今、何かの犯罪を犯したりしてしまえば、その栄光の過去も地に堕ちてしまいます。逆に過去に何か問題を抱えていたとしても、今輝いていれば、今の自分に繋がる過去も輝きだす。ね、過去は変わるでしょ(笑)」。

今を作ってくれた過去の自分、未来を作る今の自分、命を懸命に燃やしながら生きていければ、きっと過去も未来も輝きだすのです。濱田さんの温かでポジティブな言葉のギフトは、出逢った人の人生を好転させる鍵となるに違いありません。



死に向かうからこそ、一瞬一瞬を愛しみながら生きていく。

私たちは傲慢にも、「今日と同じ明日は必ず来る」と信じきっています。死が訪れるのは遥か彼方、「今」が永遠に続くとすら考えているかもしれません。けれど、「死」はいつやって来るか、誰にも分からないものです。だからこそ、「今」この瞬間を懸命に、1分1秒をムダにすることなく「自分」を生きるべきなのでしょう。濱田さんは「会いたい」と思った人には、すぐに会いに行く準備を始めるそうです。「やりたい!」と思ったことも、すぐに着手。とにかく抜群の行動力で、磁場を広げていく強さをもっているのかもしれません。

「これまで、私の返事は0.2秒。人から頼まれたら何も考えずまずは引き受けてきました。それをガムシャラにやる(笑)。命を燃やすとか魂の熱量を高めるとか、そういうことを強く意識して「自分の命をどう使おうか」って。だけど頼まれた事を必死にやってるうちに、だんだん解ってきました。人生には限りがあって自分の本当にやりたいことに心血を注がないとかえってバラバラになることを。東北の復興支援も地域おこしも、本当の自分の利益は他の人の利益という自利利他でなければ意味がないことを。逆にそれが伝播していけばいいのかって、少し開けた感じです」。

東北をボランティアとして単身訪れた濱田さんは、そこでの出逢いと目撃した現実の中から、新たな目標を見出したそう。長崎に帰ってからも、自らが精力的に企画・運営した「長崎ハッピーフェスティバル」は、来場者にはマッサージやセラピーなどの「癒し」を提供し、その入場料を東日本大震災の義援金として寄付するなど、大成功をおさめています。地域興しとしても、幅広い人脈を活かして著名人の講演会を開いたり、FM諫早のラジオパーソナリティーとして、著名人をゲストに招いたりと、目まぐるしく動き続ける彼女は眩しいほど。人と人を結びつけ、そこから生まれる化学反応を地域のパワーに変換する「ヒューマンインタラクター」としてもこれからの活躍が期待されます。

最後に濱田さんが語ってくれたのは、「私たちは決して「死に向かうために時を過ごしている」わけじゃないんです。未来に向かって生きているんです。明日は必ず来る。そこは常に開かれ、新しい風が吹き、希望に満ちあふれていると信じています。開かれた明日のために、未来の自分を信じて今日の「生」を精一杯生きる」。ただ漫然と生きるのではなく、「生きよう」として「生きる」こと。それが、濱田さんのいう「命を燃やす」ことに違いありません。



【編集後記】

濱田さんと知り合って2年以上が経つというのに、私たちはこの日まで、何も知らなかったのです。彼女のあまりに屈託のない笑顔に、目を見張るほどの行動力に、まさか彼女が左足を失い、義足だったなんて…。濱田さんにお会いして、「強さ」という一言では片づけられない、清々しいまでの雄々しさに驚くしかありませんでした。彼女の身に起きた出来事は、あまりに残酷で、若い女性の笑顔を奪うことなど容易だったに違いありません。けれど、彼女はいつも弾けんばかりの笑顔とポジティブな言葉で、自分自身はもちろん、関わる人すべてを鼓舞し続けています。「生死」の淵を見た人だからこそ「生きる」ことにひたむきで、「いかに生きるか」を問い続ける毎日は、輝きを放っているようです。

濱田さんのブログには、セラピーやセミナー、ヒューマンインタラクター等、多数紹介されています。ぜひ一度ブログをのぞいてみて下さい。

2012年11月21日:ママ記者M
 
長崎県内で活躍中の女性たちや、長崎出身の県外で頑張る女性たちを、ママモニからピックアップして、インタビュー取材を行います。
「自分らしく、人生を楽しんでいるひと」「夢に向かって、頑張っているひと」「大切なことに熱中しているひと」様々なインタビューを通して、ユーザーの皆さんの自分流の楽しみ方や、何かのヒントが見つかるかも?!刺激的で元気が湧いてくる記事をアップしていく予定です!
もしかすると…つぎは貴方が旬なひと?!