ごうさんを語る上で欠かせないのは「母親・ごうまなみ」という側面。高校一年生のひとり息子・勇歩くんは、「五番染色体異常」という重い障がいと共にこの世に生まれました。
「勇歩を生んだのが27歳の時。生むまでは、どのお母さんもそうでしょうけど、子どもが生まれたらアレをしよう、こう育てよう、大人になったら何をさせよう…なんて夢でいっぱい!それが4ヶ月検診の時に初めてハンディキャップがあることを知って、正直「死にたい」とすら思っていました。障がいのある息子が可哀想、その母親である私も可哀想、私たち親子なんて生きている意味ないんじゃないか?そんな思考に陥ってしまっていて。今にして思うと、間違った選択をしそうになったのは、私が何も「知らなった」から。障がいのことも、障がいを持つ子どもやその親御さんたちが、どんな風にがんばっているのかも知らずに、落ち込んでいたんですね。無知というのは時に「罪」を作ることになるんだ、ということを知りました。そんな毎日の中で、同じように障がいを持つ子どものお母さんたちと出会って、考え方が変わっていったんです。どのお母さんたちも生き生きと輝いていて、決して現実を悲観したりしていない。そういう姿を見ているうちに、私は私のまま、何も変わらず勇歩と生きていけばいいんだな…と、すごく楽になりました。「なんとかなるさ!」というよりも、「なんとかするさ!」って」。
子どもはきっと「輝いているママ」が好き
「私ね、母親という部分にだけスポットを当てて考えると、決して「良い母親」ではないと思うんです(笑)。100%、子育てだけに集中していたら、もしかしたら今のような気持ちにはなれていなかったかも。仕事があったからこそ、どうにかバランスが保てたんじゃないか、と思います。子育てに悩んでいる方に言いたいのは、「遠慮せずに人の手を借りなさい」ということ。おじいちゃん、おばあちゃんはもちろん保育所や一時預かり、行政のサービスなど、使えるものはどんどん使っていいんだよ、と。子どもにかかりきりで、自分がすり減ってしまうのはもったいないですよ。子どもはお母さんを見て育ちます。だったら子どものためにも、心に余裕をもって、キラキラ輝くお母さんでいてほしい。もちろん子育てはたくさんのことが学べる本当に素晴らしい経験です。それを「楽しむ」ためにも、自分らしく過ごせる時間を持ってほしいと思います。私にとってはそれが「仕事」だったのかな」。
ごうさんが経験してきた日々は、きっと私たちの想像をはるかに超える苦しさ、辛さがあったはず。なのに、その時代の話をするごうさんの表情は晴れやかで、「大変だった日々」を慈しんでいるようにも見えます。どんな逆境の中でも決してうなだれず、前だけを向いてまっすぐに歩く強さ、ごうさんの「キラキラ」の源はそこにあるのかもしれません。 |